向島国際デザインワークショップ2019『連鎖する共同体』
大絶賛!ワークショップをこの町で一緒に企画する人を募集中!!
中里和人さんはこの町で「東亰(TOKEI)」をテーマとしたワークショプを企画したいと声をあげました。このテーマを元に一緒にワークショップを練り上げてくれる人を募集します。9月19日までに下記の連絡先(電話番号、メールアドレス、facebook)までご連絡ください。
2〜5人ほどでユニットになり盛り上げたいと思っています。お気軽にお問い合わせください。
向島国際デザインワークショップ 2019
東亰(TOKEI)ワークショップ&制作展示企画案
企画者 中里和人
中里企画は下記になります。そちらへの参加も募集しますが、そのほか自分の見つけた幻の原風景=東亰(TOKEI)という視点から、東亰ワールドを読み解き自由に制作してもらい、最終的に展示発表に合流することも可能です。
企画名
まち歩きワークショップ 〈東亰(TOKEI)トワイライトウォーク〉
内容
19年〜13年前に撮った写真集「東亰(TOKEI)」をガイドに、現代の向島の東京の原風景をめぐり歩き、東亰(TOKEI)が持っていた景観の魅力を夕暮れから夜にかけて巡り発見していく。解説付きまち歩きワークショップで途中自由な写真撮影を含みます。
日時:2019年11月17日(日)
1部/まち歩き16:00〜18:00
2部/東亰(TOKEI)を語り合う交流会 18:00〜20:00
集合場所:未定
参加募集人数:15名
参加料:未定
□ユニットリーダー 中里和人さんの言葉
2000年に開催されたアートイベント「向島ネットワークス」では向島の町を撮影し、京島の長屋で写真インスタレーション〈長屋迷路〉を開催。同年に「向島博覧会」へも参加し、鳩の街の元工場で写真インスタレーション〈五感工場〉を開催しました。このアートイベントへの参加を契機に向島での撮影が始まりました。
その後も向島でのアートイベントに参加しながら、この街の景観を撮影し続け2006年に写真集「東亰(TOKEI)」を出版しました。撮影を始めてから19年目を迎えました。
この土地との最初の出会いは2000年、アートイベント「向島ネットワークス」に代表者ティトス・スプリー氏が招請してくれたことからでした。
特に京島界隈には迷路のように細い路地が延び、植物が溢れる軒先では子どもたちが遊び、ご近所の住民同士が井戸端会議をしていました。この小さな路地は、誰もが一服できる街の縁側のような場所に思えました。
迷路のような路地にびっしり建つ住居、長屋、商店、工場など、まるで自然発生した人間の巣のようなカオティックな街が、東京の東側に広い面として存在していた光景との遭遇は、センセーショナルな出来事となりました。太平洋戰爭で焼け残った京島周辺には、これまで体験したことのない庶民的でネイティブな東京の原風景が残っていて、まるで幻の東京を見た驚きがありました。
時代は遡り、江戸から明治になった時に、東京という首都が誕生しました。しかし、江戸という名前に愛着のあった庶民は、政府が付けた東の京都=東京という記号的な名前に異議を唱え、東京の京の文字に横棒を一つ入れ亰の文字を生み出し、住民自らが勝手に東亰(TOKEI)と名乗るようになりました。この公式でない呼称は民間レベルで普及し、明治の初め頃にはあちこちで使われていたようですが、いつの間にか東京という名前に収斂されていったようです。
細い路地や曲線的な古い街並み、経年変化が目で触れることのできる街の手触り感、ゆっくりと流れていく時間、あふれ出す路地植栽など、等身大の人が物差しとなったヒューマンスケールな街。この向島エリアには、近代化の過程でモダン都市東京が脱ぎ捨ててきた景観が奇跡的に残っていました。
私はその向島にあった未知の景観に、幻の東京=東亰を見てしまいました。
しかし、地下鉄半蔵門線の開通、東京スカイツリーの建設、経年劣化での建て替えなどが進み、私が写真集「東亰(TOKEI)」で記録した景観は、その多くが消えてしまいました。
まずは、今回の向島国際デザインワークショップでは、写真集「東亰(TOKEI)」をガイドブックにして、写真集の街をめぐります。また、現在も向島エリアに残るヒューマスケールから形成された原風景のランドスケープを東亰と呼び、各自が東亰を発見し、その読み解き方をワークショップや展示にしていきます。
その取り組み方や発表形式は、写真、映像、演劇、絵画、オブジェ、建築、文学、音楽(サウンドスケイプ)、現代美術などとして展開自由です。
最後にエピソードを一つ紹介します。自然からの距離があまりにも遠くなってしまった都市文明はやがて滅びる。東京もその一つの都市であるという考えを持つネイティブ・アメリカンの人たちが、向島の街に来て路地で突然歓喜の舞を踊りだしたそうです。そのわけは、向島の路地にあふれるようにあった小さな路地植栽群で、このささやかな人間の仕業が、未来の都市を継続させるキーワードになることを暗示させたというのです。
この路地植栽を自在に置ける縁側機能、公共と私的空間のファジーな存在、人がたむろできる路地空間、この向島にあるヒューマンスケールから見えだす原風景を、景観エナジーのゼロポイントとして、未来へのデザインやアートとしてバトンしていくためのワークショップです。
大絶賛!ワークショップをこの町で一緒に企画する人を募集中!!
中里和人さんはこの町で「東亰(TOKEI)」をテーマとしたワークショプを企画したいと声をあげました。このテーマを元に一緒にワークショップを練り上げてくれる人を募集します。9月19日までに下記の連絡先(電話番号、メールアドレス、facebook)までご連絡ください。
2〜5人ほどでユニットになり盛り上げたいと思っています。お気軽にお問い合わせください。
向島国際デザインワークショップ 2019
東亰(TOKEI)ワークショップ&制作展示企画案
企画者 中里和人
中里企画は下記になります。そちらへの参加も募集しますが、そのほか自分の見つけた幻の原風景=東亰(TOKEI)という視点から、東亰ワールドを読み解き自由に制作してもらい、最終的に展示発表に合流することも可能です。
企画名
まち歩きワークショップ 〈東亰(TOKEI)トワイライトウォーク〉
内容
19年〜13年前に撮った写真集「東亰(TOKEI)」をガイドに、現代の向島の東京の原風景をめぐり歩き、東亰(TOKEI)が持っていた景観の魅力を夕暮れから夜にかけて巡り発見していく。解説付きまち歩きワークショップで途中自由な写真撮影を含みます。
日時:2019年11月17日(日)
1部/まち歩き16:00〜18:00
2部/東亰(TOKEI)を語り合う交流会 18:00〜20:00
集合場所:未定
参加募集人数:15名
参加料:未定
□ユニットリーダー 中里和人さんの言葉
2000年に開催されたアートイベント「向島ネットワークス」では向島の町を撮影し、京島の長屋で写真インスタレーション〈長屋迷路〉を開催。同年に「向島博覧会」へも参加し、鳩の街の元工場で写真インスタレーション〈五感工場〉を開催しました。このアートイベントへの参加を契機に向島での撮影が始まりました。
その後も向島でのアートイベントに参加しながら、この街の景観を撮影し続け2006年に写真集「東亰(TOKEI)」を出版しました。撮影を始めてから19年目を迎えました。
この土地との最初の出会いは2000年、アートイベント「向島ネットワークス」に代表者ティトス・スプリー氏が招請してくれたことからでした。
特に京島界隈には迷路のように細い路地が延び、植物が溢れる軒先では子どもたちが遊び、ご近所の住民同士が井戸端会議をしていました。この小さな路地は、誰もが一服できる街の縁側のような場所に思えました。
迷路のような路地にびっしり建つ住居、長屋、商店、工場など、まるで自然発生した人間の巣のようなカオティックな街が、東京の東側に広い面として存在していた光景との遭遇は、センセーショナルな出来事となりました。太平洋戰爭で焼け残った京島周辺には、これまで体験したことのない庶民的でネイティブな東京の原風景が残っていて、まるで幻の東京を見た驚きがありました。
時代は遡り、江戸から明治になった時に、東京という首都が誕生しました。しかし、江戸という名前に愛着のあった庶民は、政府が付けた東の京都=東京という記号的な名前に異議を唱え、東京の京の文字に横棒を一つ入れ亰の文字を生み出し、住民自らが勝手に東亰(TOKEI)と名乗るようになりました。この公式でない呼称は民間レベルで普及し、明治の初め頃にはあちこちで使われていたようですが、いつの間にか東京という名前に収斂されていったようです。
細い路地や曲線的な古い街並み、経年変化が目で触れることのできる街の手触り感、ゆっくりと流れていく時間、あふれ出す路地植栽など、等身大の人が物差しとなったヒューマンスケールな街。この向島エリアには、近代化の過程でモダン都市東京が脱ぎ捨ててきた景観が奇跡的に残っていました。
私はその向島にあった未知の景観に、幻の東京=東亰を見てしまいました。
しかし、地下鉄半蔵門線の開通、東京スカイツリーの建設、経年劣化での建て替えなどが進み、私が写真集「東亰(TOKEI)」で記録した景観は、その多くが消えてしまいました。
まずは、今回の向島国際デザインワークショップでは、写真集「東亰(TOKEI)」をガイドブックにして、写真集の街をめぐります。また、現在も向島エリアに残るヒューマスケールから形成された原風景のランドスケープを東亰と呼び、各自が東亰を発見し、その読み解き方をワークショップや展示にしていきます。
その取り組み方や発表形式は、写真、映像、演劇、絵画、オブジェ、建築、文学、音楽(サウンドスケイプ)、現代美術などとして展開自由です。
最後にエピソードを一つ紹介します。自然からの距離があまりにも遠くなってしまった都市文明はやがて滅びる。東京もその一つの都市であるという考えを持つネイティブ・アメリカンの人たちが、向島の街に来て路地で突然歓喜の舞を踊りだしたそうです。そのわけは、向島の路地にあふれるようにあった小さな路地植栽群で、このささやかな人間の仕業が、未来の都市を継続させるキーワードになることを暗示させたというのです。
この路地植栽を自在に置ける縁側機能、公共と私的空間のファジーな存在、人がたむろできる路地空間、この向島にあるヒューマンスケールから見えだす原風景を、景観エナジーのゼロポイントとして、未来へのデザインやアートとしてバトンしていくためのワークショップです。